三宅孝太郎の学友・
高野敏夫教授からの手紙
高野教授と三宅孝太郎は、大学時代の級友です。
そのため、多少の身びいきがあるかも知れませんが、
作家と学者の関係を見事に解明なされていますので、
もともと公表を目的としない手紙文ですが、
あえて教授の了解を得て、ここに転載させていただきました。

◇高野敏夫さんのプロフィール◇

岐阜聖徳学園大学外国学部教授
早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了
演劇学専攻

=主な著書=
『世阿弥〈まなざし〉の超克』
『世阿弥の後姿』
『本居宣長』
『恋の手本 曽根崎心中論』
(いずれも河出書房新社刊)

 拝復。
「戦国茶闘伝」、ありがとうございました。
 拝読しながら、作家と学者との間にある、歴史との関わり方の違いを改めて考えさせられました。作家は過去の歴史の中へすんなりと入って行ける幸せな人種です。
 ほとんど「才能」といってよいでしょう。まさに、「天賦の才」です。いいかえれば、役者がその役柄にすっと入って行ける、その変わり身の速さと没入する際のエネルギーの激しさと同じものです。
 ところが、学者には、その種の「才」が乏しい。存在しない、というほどではないにしても、文字通り乏しい。エネルギーの差というよりは、過去の歴史との関わり方、あるいは没入する態度の相違でしょう。
 学者は、作家のようには、過去の歴史の中に没入しきれない。過去の歴史を手さぐりし、瀬踏みをし、一つ一つ確かめながら、恐る恐る進んで行く。登山家が、岩場にハーケンを打ち込み足場を確保しながら登るように、一歩ずつ進んで行く。慎重というべきか、小心というべきか、いささか滑稽な気もします。その手続きを怠り、手抜きをすると千仭の谷へまっ逆さまに墜落する恐怖におののいています。
 本当は、資料の限界を知り尽くしているはずなのに、資料という足掛かりがなければ一歩も前へ進めない、と思い込んでいる。どだい、資料くらいいかがわしく、曖昧なものはない。同じ資料でも、読み方次第で、使い方次第で、どうにでもなる。
 それを承知しているはずなのに、だれもが知らぬふりをしている。「王様は裸だ」と叫んだ子供の素直さを失ってしまっているからでしょう。そのマナリズムになじみ、約束事や慣例を重んじる小心さを身につけた者だけが「学者」となっていけるのでしょう。
 資料として「公認」された過去の史実が、「歴史の広場」にうず高く積み上げられている。そこから慎重に一つずつ選び出して歴史を組み立てているかぎり、だれからも文句はでません。けれども、その中に、一つでもいかがわしい未公認の資料がまぎれ込んでいると、歴史学者たちは声高に糾弾し、「不正」を正す。だが、歴史はすべてそれほど間違いない、正しい資料によって組み上げられているわけではないし、それに、正しい歴史は、文部科学省公認の教科書の歴史と同じで、そんなものは少しも面白くない。
 とはいえ、そこまで間違いのない史実をもとに組み上げられているはずの正しい歴史でも、新しい史実の発見があればいとも簡単に書き換えられ、訂正されてしまうのは日常茶飯事のことで、まして偽物がまぎれ込んできたら、どうしようもないことは、ついこの間経験したばかりです。

 学者は「正しい」歴史を目ざすのに対し、作家は面白い歴史をめざし、歴史の面白さを展開する。おそらく、その違いでしょう。学者だって、本当は歴史の面白さを語り、歴史を面白いと思ってもらいたいと願っているはずです。
「花ト、面白キト、メズラシキト、コレ三ツハ同ジ心ナリ」とは、世阿弥の言葉ですが、珍しい説、面白い説をめざすなら、歴史に対して新しい切り口を入れ、新しい歴史の断面を示すべきでしょう。
 貴兄の今回の作品は、「茶道具」という小道具を狂言回しとし、戦国時代を切りとろうとした面白い試みでした。その語り口の巧みさに、改めて作家としてのしたたかな「手口」を感じました。作家は、読者を身近に感じとれる稀有な才の持ち主だと敬服しました。名優が観客は自分についてくるものと信じて疑わないのと、同じ自信でしょう。 
 ところが、学者は、読者を相手にするのではなく、学者仲間を相手に、仲間内だけで語ろうとする。一般読者という開かれた相手が、最初から排除されてしまっております。私たちが芝居を面白いと感じるのは、その芝居の内容を知ることではなく、芝居の段取りや役者の演技に引き込まれるからでしょう。同様に、歴史の真実のあり方を知ることではなく、歴史の真実を語る語り口の面白さに酔うのでしょう。
 かつて、入学試験問題を作る際、歴史学者の文章を候補として検討した経験がありますが、あまりにも貧弱な表現に辟易として取りやめました。国語の問題としてとり上げるには貧弱すぎる文章で、格調もなければリズムもなく、ふくらみもなければ夢もなかったからです。「正しい歴史」のために、それらがすべて排除されなければならないとしたら、近代の日本の歴史は不幸です。内容はともあれ、戦前の日本の歴史はもっと格調にあふれた文章で書かれていました。

 日本の近代文学や近代演劇がつまらなくなってしまったのは、西洋の風潮に影響されて、文学や演劇の面白さよりも「本当らしさ」が過度に強調され、追求された結果です。西鶴の浮世草子は「本当らしさ」などに目もくれませんでした。当時の読者は、そんなものを求めていなかったからです。 
 フローベールは科学者のような客観的で正確な文章を宣揚しましたが、西鶴の文章はいい加減で舌足らずです。それでも、西鶴の書く作品が面白いのは、めざす方向が違っていたからです。近松の場合も、同様です。
 それを考えれば、貴兄が日本の近代文学の悪しき風習から無縁な位置で縦横に活躍なさっているご様子は、慶賀のいたりです。今後とも、ますますのご活躍を祈ります。

不一 

平成16年4月29日 

高野敏夫 

三宅孝太郎さま