第1回 2004年11月30日(火)


杉本寺

 巡礼と称したからには、「坂東・鎌倉三十三観音霊場第一番札所」である、ここ大蔵山杉本寺を最初に詣でなければ仁義にもとるというものでしょう。
 いつぞやの「鎌倉だより」に出てまいりました滑川ぞいをバス停「杉本観音」で下車。さっそく、白い幟
(のぼり)が何本も、山上にいたる石段の両側に立ち並んでいるのが目に飛び込んでまいります。

 さすが、鎌倉最古の寺というだけあって、コケむす石段からして時代の風趣を感じさせてくれます。風趣といえば、この本堂のかやぶき屋根も、なかなかのものではございませんか。
 古いにもかかわらず、本堂内陣に上がって観音様を間ぢかに拝ませていただけるのだから恐れ入ります。
 ご本尊は一体だけかと思いきや、なんと三体、しかもいずれも十一面の観音様。三体とも、それぞれに由緒あるのは言うまでもありませんが、とくに真ん中においでのご本尊などは、天台の高僧・円仁(慈覚大師)さんが、海に浮かぶ流木を刻んで作られたと聞きます。円仁さんは、すぐれた彫刻家でもあったわけですね。
 堂内は撮影禁止で、くわしくはお伝えできかねますが、売店では巡礼の装束一式、白衣、菅笠、金剛杖などが売られているとは、さすがに札所だとあらためて感心しました。でも、ここへは今までに数回来ておりますが、いまだかつていちども巡礼姿の参拝者にお目にかかってはいない。おそらく、わたくしのほうが間抜けで、巡礼姿の人々がやってくる前か、または帰ってしまったあとにまいっていたことになりましょう。
 おもしろいエピソードも伝わっております。
 昔々、ここの門前を馬に乗ったまま通ると必ず落馬したので、馬から下りて通行したようです。北条氏の時代らしく、北条時頼が建長寺の大覚禅師にお願いして、観音様の顔に目かくしの袈裟
(けさ)をかけてもらったところ、落馬する者がいなくなったといいます。そんなわけで、「下馬観音」とか「覆面観音」とも呼ばれるようになったとか。
 さしづめ、わたくしなんぞも、徳利片手に、すっぽんぽん姿でもバチが当らないのは、目かくしのご利益にあやかってのことでございましょうかね。
 ところで、ここ大蔵山は城跡でもあったとは驚きました。南北朝のころ、南朝方の北畠顕家が大軍をひきいて鎌倉に攻め込んできたとき、足利方はここ杉本城で防戦。しかし、斯波三郎家長ら三百余人は討死。本堂近くにある数々の五輪塔は、その名残だそうで。この聖地も、つわものどもの夢のあとであったとは、おいたわしい。
 ちょうど、本堂の裏山が城跡だと聞き、弓なりについた登坂路をたどってみましたが、城跡へは立ち入ることはできなかった。しかし、見はるかすかなたに冠雪した霊峰富士が顔をのぞかせているではありませんか。
 かつて、つわものどもも、この絶景を眺めたかと思うと、大いに感じ入りましてございます。
(第2回に続きます)