第4回 2005年1月17日(月)

稲村ケ崎

 17,1,17の日付のある、江ノ電一日乗車券「のりおりくん」を利用して沿線巡礼と洒落てみましょう。キップの日付を見ると、「いぃな、いいな」と読める。きっと、いいことにめぐり合える予感がいたします。
 しかし、思えば今日のこの日は、神戸・淡路大震災から10年目ではありませんか。私、柴右衛門も淡路の産。もっとも、淡路のどこで、いつ生まれたのか、とんと記憶にございませんが、被災者のかたたちのことを思えば、浮かれてばかりとはまいりません。本日の巡礼は、震災で亡くなられた人たちの霊を慰めるものといたしとう存じます。

 大好きな富士山、冬にしかお目にかかれない冠雪した神々しい姿が見たくて、鎌倉駅をスタートした江ノ電、まずは稲村ケ崎駅で途中下車。5、6分も歩けば、海岸沿いの134号線。
 
左手に見える、海へ突き出た小高い岬が鎌倉海浜公園・稲村ケ崎。公園入口そばに立つ石碑に、「新田義貞徒渉伝説地」とあるとおり、有名な史跡の一つです。
 その昔、鎌倉に攻め入るのに苦労した新田義貞に残された唯一の道は、この岬を海沿いに進むしか方法はなかった。しかし、岩場に打ち寄せる波は、それさえ許さない。義貞は、岬に立ち、神に祈りながら黄金の太刀を海中に投げ入れたところ、ほどなく潮が引き砂地が見えはじめ、鎌倉入りを果たしたと言われております。
 やさしい冬日を背中いっばいに浴びて、岬の上方へと広がる芝生を進み、振り返ってみると、霊峰と呼ばれるにふさわしい姿の富士が箱根や伊豆の山々を従えてそびえ、近くに江の島を配した風景は思わずかたずを飲まざるをえません。
 また、岬の先端近くにある、弟をかばいながら助けを求めて手を振る兄のブロンズ像が目を引きます。
 明治43年1月下旬、逗子開成中学の生徒がこの沖合いで遭難したことを悼んで、建てられたものだそうで、震災の時期とも重ね合わされて、おもわず手を合わさずにはまいりません。
 いつぞや、この像の前で中年男女のグループが、「真白き富士の嶺
(ね)、緑の江の島」と合唱していたことも思い起こされましてございます。(第5回に続きます)