第6回 2005年1月17日(月)

腰越漁港と小動神社

 冬の陽が傾くのは早ようございます。風が冷たくなるまえに、もういちど海辺に向かいましょう。
 満福寺の石段を下り、腰越
(こしごえ)商店街の通りへ出ます。通りを横切り、店と店の間の路を海へと向かいますと、国道134号線。向かい側に小動(こゆるぎ)神社の鳥居が見えますが、こちらへは、のちほど寄ることにして、ほんの少し江の島側にある腰越漁港へ。

 じつは、ここには私にとって懐かしいものが待っていてくれるはずなのでございます。いや、まだ、あるはずだと言ったほうがよいかも知れません。
 港内に繋留されている漁船を次々と目で追ってみますと、それは変わらぬ姿で出迎えてくれました。
「しばらくだったな、お互いに変わりなくて何よりだ」と言わんばかりに、「孝太郎丸」は波にたゆたっているではありませんか。
 早いもので、もう3、4年も前になりましょう。三宅孝太郎一家そろって船釣りに行こうということになり、どうせなら孝太郎丸にかぎるってわけで、午前6時ごろ、「天気晴朗なれど、波やや高し」の状態で出船した次第で。
 エンジン快調、右方向の江の島はみるみる遠ざかり、やがて三浦半島沖のポイントに投錨。船長の指示に従って、いっせいに竿を出し、リールを操作しておりますというと、サバやアジがポツリポツリ釣れてまいります。
 ですが、魚のほうでも色々と都合があるのかどうか、ぱたりと魚信が途絶えますというと、船の揺ればかりが気にかかりだします。日ごろ、こんなに早く起きる習慣のない一家にとっては、眠気と同時に船酔いに襲われるのも早ようございます。酔わないのは私だけで、次々と顔色をなくして船室でダウンというお粗末。
「釣り船でお昼寝かい、しょうがねぇな」
 船長の呆れ顔が、いまも昨日のことのように目に浮かびます。
 帰りがけに船長が、イケスからすくい取った魚で、こちらのクーラーボックスを満たしてくれたものでございます。
 よほど懲りたものか、その後いちども船釣りはしなくなりました。
 ところで、ここ腰越漁港では、毎月第1、第3木曜日に朝市が催され、とれたての魚介類を求めて大勢の人々でにぎわいます。とくに、釜揚げシラスは名物。と言っても、まだ一度も朝市に出向いたことはございまんので悪しからず。なにしろ、宵っ張りの朝寝坊一家ですもの、いたし方ございません。
 そろそろ風が冷たくなってまいりました。小動神社へ急ぎましょう。
 石づくりの明神鳥居をふたつ通り抜けて登りつめると権現造り社殿。赤い頭巾をかぶった2基の狛犬が、いかにも「けがれた者は去れ」と言わんばかりの顔でたたずんでおりますが、赤い頬っかぶりが愛嬌たっぷりで、不敬ながら思わず笑ってしまいました。かぶりモノに「漁」とあるのが、いかにも漁港の守り神らしいことをしのばせます。
 もとは、「八王子宮」とか「三神社」と呼ばれたそうで、腰越五ケ町の鎮守。源平の合戦で活躍した佐々木盛綱が、江の島弁才天へ参詣の途次、ここ小動山からの眺めに心打たれて、父祖の領国・近江の八王子宮を勧請したのが始まりです。その後、稲村ケ崎で名を馳せた新田義貞が鎌倉攻めの戦勝を祈願して再興したのが、現在の社殿だと伝わります。
 7月の上旬、神社の例祭が江の島神社の祭礼と同時におこなわれますが、これは、佐々木盛綱のゆかりにもとづいてのことでございましょう。
 小動神社と江の島神社とは、夫婦神だといわれ、一年に一度、腰越でお会いになる。それを祝って、両社から山車
(だし)や神輿(みこし)が出て、腰越町内を練り歩くわけです。
 七夕の「おりひめ」と「ひこぼし」の伝説に似ていて、ほほえましくも、なんとも羨ましい限りではございませんか。その頃に、もう一度まいりたいと思います。
 江ノ電による巡礼第1回は、ひとまず終わりますが、いずれふたたび続行いたすことになりましょう。