第7回 2005年3月10日(木)

由比若宮
(元八幡)から光明寺へ

 鎌倉といえば、まず鶴岡八幡宮を思いおこす人が多いようですが、じつは最初から現在地にあったのでないのです。当初は、もっと海寄りに建立されていたものが移されたといいます。
 若宮大路を下馬四つ角で東へ向かいましょう。ほどなく大町四つ角、そこを右折、材木座海岸方向へ。横須賀線の踏切を渡って約50メートルのところに「元鶴岡八幡宮」の標識。そこをもう一度右折、今度は約100メートルほどで、元八幡の石柱あり。それに沿って住宅地の間の小道を突き当たったところが、元八幡、正しくは由比若宮と申します。

 なんだか、ぐるぐる引っ張りまわして元へもどったようで恐れ入ります。
 なにしろ今から1000年近くも昔のことで、当時はもっと広い敷地で、社殿は海に面していたらしいですが、今では周囲に家が建て込んでしまったわけで仕方ございません。
 前九年の役(1051〜62年)のころ、源頼朝の五代も前の頼義が東北からの凱旋途中、この地に立ち寄り、源氏の守り神・岩清水八幡宮の祭神を勧請
(かんじょう)なさったものといいます。
 こぢんまりとして絢爛豪華とはほど遠い風情ですが、鎌倉のヘソにあたるのだと思いますと、身が引きしまります。
 もとの道にもどり材木座海岸方向へ、約20分の道のり。潮の遠鳴りがだんだん近くに聞こえてくると、左手に大きな山門が見えてまいります。関東最大の二重門だけあって、威風堂々。ここが、浄土宗の関東総本山、光明寺でございます。
 毎年、10月12日から15日まで、「お十夜」
(十夜念仏の法要)が催され、境内も大いににぎわいます。
 本堂前の柱に掛けられた「前向きに苦を受ける」という“みおしえ”を見て、たいへん不謹慎ながら思わず吹き出しそうになりました。と申しますのも、わが孝太郎どのは「何事も前向きに」を信条としておりまして、駐車場に車を入れるときも、つねに前向き。そして、さて車を出すときになって一苦労するのを思い出したものですから。
「なるほど、前向きに苦を受けるか」
 孝太郎どのは、いかにも感服したように、うなずいたものです。
 さすが関東総本山だけあって、拝観料不必要のうえ、本堂をとりまく廊下にも自由に上がれ、ふところの広さを感じます。本堂左手奥にある蓮池の庭園は、徳川将軍家の茶の湯指南役だった小堀遠州の作。いわゆる「きれいさび」の茶の湯を大成された人だけに、庭の作りにも、華やかなうちに寂(さ)びの風情があふれています。
 残念ながら、今は季節外れで、ハスの花も枯れ果てて、やや「さび」が利きすぎでございますが。
「おや?」
 いきなり、池に小石でも投げ込まれたような音。なんと、カワセミではございませんか。池の小魚でもねらってダイブしたのでしょう。瑠璃色の羽が水面をかすめすぎていくではございませんか。さびた風情に一瞬の華やかさを演出してみせてくれたようです。
 回廊づたいに、本堂の右手に回ってみますというと、こんどは浄土式枯山水の石庭「三尊五祖来迎之庭」が現れます。それぞれの石の説明板も用意されている欄干から眺めておりますと、私のような俗物の心も洗われるようでございます。
 境内を散歩する親子のはずむような足取りにも、上空を旋回するトンビの声にも、春らんまんの日がついそこまで近づいているのを思い知らされます。
 最近では、すっかり友好関係を結んでおります猫ちゃんも春眠から目覚めたばかりの面差しながら、用心深いそぶりひとつ見せずに見送ってくれました。