第8回 2005年4月8日(金)

鶴岡八幡宮


 JR鎌倉駅の東口広場をま向こうにのびる道をすすみ、出くわした道路が、鎌倉のメインストリート・若宮大路です。由比ガ浜から鶴岡八幡宮への参道にあたります。
 若宮大路には三つの鳥居があり、大路のほぼ中央部にある二の鳥居から八幡宮前の三の鳥居までの間にある一段高い遊歩道が段葛
(だんかずら)。ごらんください、みごとな桜のトンネルでしょう。

 じつは、この桜花らんまんの日を、私の短い首をめいっばい伸ばせるだけ伸ばして待ちかねていたわけです。
 その昔、源頼朝が妻の政子さんの安産を祈願して築かせたものだそうですが、なぜか道幅は、八幡宮に近づくほど次第に狭くなっております。誰が考えたものか、「遠近法」を利用しているわけで、早く八幡さまに到達したいとはやる参詣人の思いを逆手にとった、みごとな演出といえましょう。
 三の鳥居をくぐると、源平池にかかる太鼓橋。橋によって池は二分されており、右手の広いほうが「源氏池」、左手が「平家池」と呼ばれています。
 平家を滅ぼそうとした頼朝の意をくんで、政子さんが掘らせたものだそうで、源氏池には白い蓮と三つの島、平家池には紅い蓮を植えて、四つの島を築きました。蓮の色は、白は源氏、紅は平家を示していることは言うまでもないことですが、島の数は語呂合わせで、「三」は「産」(繁栄の意味)、「四」は「死」に通じるわけで、源氏が栄え、平家が滅亡することを祈願したものと言われております。
 源氏池の島にある旗上弁財天社は、頼朝が平家打倒の旗揚げをしたとき、弁財天の励ましをうけたことからまつられたようですが、ここに不思議なことがございます。
 神社といえばハトはつきものですが、ここ源平池では、白いハトはおもに源氏池に集まり、平家池のほうには、ほとんど姿を見せません。源氏の白旗と「白鳩」が、奇妙に通じあっているのです。これは人智のおよばぬことですから、やはり、神社にいるハトは、神さまのつかいというのは間違いではなさそうです。
 いっぽうの平家池をたずねてみますというと、白ハトならぬ白サギ
(本当は、ごいさぎ)が羽を休めております。
 これも、よく見かけるいつもの光景ですが、ここで意外にも、なつかしい相手と出くわしました。私めとは違って、うらやましいぐらい首の長い、体長40センチほどもある、その相手に声をかけます。
「やぁ、スッポンじゃないか。しばらく見かけなかったから、とっくにくたばったかと思っていたぜ」
「なにを言いやがる、生まれたまんまのスッポンポン野郎めが」
「しかしスッポンよ、いつまで、平家池の泥ん中をはいずりまわっているんだ。そろそろ源氏池に移り住んではどうだ」
「悪いが、オレは平家池の守り神さ。おまえのようなフーテン野郎に、オレの心意気が分かってたまるもんか」
 顔をあわせれば、いつもこのとおり。互いに悪態のつきあいになってしまいますが、これも友情のしるしだと思っております。
 世の中には、紅白歌合戦とかいって、なにかにつけて、紅白に分かれて争いたがるのは、源平合戦にちなんでのことでしょう。しかし、この池には、紅白いずれにもくみしないモノも住みついております。この前、光明寺の池で見かけたと同類の、あざやかな瑠璃色の羽をもつカワセミです。
 カワセミは、紅白などにこだわりません。源平池を美しく自由に行き来して、見るものの目を楽しませてくれます。まるで、平和の化身かと思われてなりません。
 その飛翔の優美さを見るにつけて、静御前さまを偲ばせてもくれます。
 八幡宮の正面、石段下にある舞殿
(まいでん)で、頼朝の弟・義経をしたいつつ「しずやしず、しずのおだまきくりかえし、むかしを今に、なすよしもがな」とうたいながら舞ったといわれます。彼女の心情を察しますと、頼朝・義経兄弟の争いを憎む想いでいっぱいだったのではないでしょうか。
 八幡宮で催される神事は数多いのですが、今月第三日曜日と九月の例大祭に古式にのっとっておこなわれる「流鏑馬
(やぶさめ)」、また夏の夜を惜しむかのように境内参道をほんのり照らし出す「ぼんぼり祭り」など、格別の情趣をさそってくれます。
 いずれ、じっくりとご覧に入れたいものだと存じます。