江戸の治安はお任せ!

関東取締出役

さすがの国定忠治も
「泣く子も黙る」八州廻りに召し捕られた!

役職メモ◇

  1 関八州内での犯罪者の取り締まりや捕縛、治安維持の強化
  2 10〜20両・2〜3人扶持・巡回日当260〜270文
  3 文化2年(1805)設置
  4 勘定奉行



百姓たちを救った又蔵の機転


 三田村鳶魚(えんぎょ)の「捕物の話」に、野尻騒動のことが紹介されている。
 下野(栃木県)の野尻は上酒野谷(かみさがのや)と向かい合い、両村の間を流れる大蘆川にかかっている仮橋が定橋になった。慶応年中(1865〜68)のことという。
 橋普請の落成を祝って芝居の興行を行なった。村落での芝居興行は、ことに天保時代(1830〜44)以来、厳しく差し止められている。
 上酒野谷村は旗本小林某の知行所で、野尻村と異なり陣屋もなく、すべて名主(なぬし)まかせ。一方、野尻村は領主吹上一万石の有馬兵庫頭氏郁(うじしげ)の領分だ。有馬兵庫頭は芝居興行を看過するわけにゆかず、人を出すことになった。
 吹上の役人は、番太(ばんた・番太郎)をおおぜい引き連れ芝居を止めにかかった。しかし、芝居小屋の帳場をあずかっていたのは野尻村の名主、石川藤右衛文で、御用提灯の番太たちを村人たちの助勢で追い払い、芝居を続行してしまった。
 退散してきた番太から事の次第を聞いた有馬兵庫頭、このままでは領主としてのメンツがたたない。今度は足軽を差し向け、両村の15歳以上、60歳以下の者、名主を除く約100人を、吹上の御捕方に対して乱暴をはたらいた罪で捕縛した。
 このとき、道案内をつとめる上酒野谷の又蔵という者が、自分の配下の番太とその子分たちを伴い、捕らえられたばかりの約100人を奪い取ったのである。
「これらの者は、元来吹上で処分すべきものではなく、関東取締出役(かんとうとりしまりしゅつやく)の手で処分すべきものである」
 と言って、大いに取締出役の幅を利かせ、このとき小山にいた取締出役の高野某の手で全員を江戸へ送ってしまったという。
 又蔵が、なぜこのような狼藉(ろうぜき)まがいのことをしたかというと、むろん理由はある。
 領主の捕方に抵抗した百姓たちのことだ。吹上に連れて行かれては、首を斬られることは目に見えている。
 江戸送りにすれば、勘定奉行の公事方の調べだ。命にかかわることはあるまい。100人もの命を救うためにとった又蔵の機転であったのである。
 しかし、又蔵がなぜそんな大それた事をどうどうとやってのける事ができたのであろうか。
 又蔵がつとめる道案内とは、取締出役の配下に過ぎないことを考えると、ここに関東取締出役の権威の大きさが浮かび上がってくるというものである。

関東取締出役の創設


 俗に八州廻りと呼ばれる取締出役が勘定奉行の支配下に設けられたのは、文化2年(1805)のことである。
 関八州とは、武蔵・相模・上野・下野・常陸・上総・下総・安房をさすことは言うまでもないが、なぜこの時期、この地域に限って、八州巡回の移動警察が必要とされたのであろうか。
 出役創設に先立つこと38年前、明和4年(1767)、老中から勘定奉行宛に次のような通達が出されている。
「近時、関八州と甲州に博徒がはびこり、彼らに賭博へ誘い込まれた農民は百姓仕事を疎かにするばかりか、挙句(あげく)、すべてを博徒に巻き上げられ、村を逃げ出す者も多い。これを放置すれば、村は疲弊し田畑は荒れ、年貢取り立てに支障をきたすこと必定。よって、素行不良の者、賭博常習者及び身分不相応な身なりをしている者は、噂を耳にしただけでも即刻捕らえ、取り調べること。仮に誤って捕らえたとしてもお構いなし。そうして、農業専一にさせるよう、各代官に指示すべきこと」
 という意味の達しからみて、お上は永年にわたっていかに博徒の急増に手を焼いていたかが窺える。
 だが、この通達が出されて数10年を経た後に、改めて取締出役の創設に踏み切ったということは、代官の手に余る博徒や犯罪者が八州に跋扈(ばっこ)し続けたことを示して余りあろう。
 上野の岩鼻、下野の真岡(もおか)以外の代官は、陣屋を設けず、江戸に屋敷をもっていた。そして、支配所には手附(てつけ)・手代を駐在させ、代官自身は検見その他の重要なときのみ出張していた。
 このように、代官の支配所は5万石から10万石の領地を、わずかの属僚で支配するわけで、徴税業務に追われ、警察業務にまで手がまわりかねていた。もともと、代官の主務は徴税、つまり年貢の取り立てであって、悪人を何人捕らえたところで点数稼ぎにはならない。いきおい、警察業務はおろそかにならざるを得ない。
 そのうえ、関八州は天領・大名領・旗本領が入り組み、統一した犯罪捜査ができず、犯罪者が逃げ込むのに好都合な立地条件でもあった。
 そこで、天領・私領をとわず踏み込んで、犯罪者を捕縛することができる移動警察、八州廻りが必要となったのである。

八州廻りのチーム構成


 当初、早川八郎右衛門・榊原小兵・山口鉄五郎・吉川栄右衛門の4名(いずれも江戸近辺を支配する江戸住まいの代官)の配下の手附・手代から2名ずつ計8名で巡邏(じゅんら)隊を構成し、各1人ずつが指定の地区を巡回する決まりである。
 ただし、1人の出役には、雇足軽2名、小者1名、道案内2名がつき、計6名が基本的な1チームの構成メンバーであった。
 例えば、X地区へAチームが巡邏することに決まると、X地区に属する50〜60カ村で作っている取締組合に通達し、そのX地区の惣代が道案内を選び置くことになる。
 道案内は、地理に明るい村役人か身元確かな百姓が当たる。また、実際の犯罪者捕縛に当たっては、以前悪の仲間であった者とか前科者で、その世界に明るい番太とその子分が活躍する。番太は、町方の岡っ引き的存在であるわけだ。
 チーム・リーダーである出役の身分は、先にも触れたように手附または手代であるが、真面目なのは手代のほうに多かった。
 手附はすべて御家人で、代官から勘定奉行へ伺って小普請組の者から選ばれた。小普請組は三千石以下の旗本・御家人で、老幼・病疾などの理由で非職だが、遊んでいて生活が保障されている身分だ。
 それにひきかえ、手代は農家の二、三男が多く、代官の雇である。が、手代であっても代官が勘定奉行に請願して新規御抱え入れの手附になることもできた。手代から出役に就いた者のほうが真面目に仕事をしたのも当然であろう。
 出役の給料は、手附・手代をとわず年に10〜20両で、2〜3人扶持。巡回の日当は、260〜270文、巡回先での諸費用は村の組合持ちのうえ、何かと実入りが多い。住まいは江戸の御用屋敷だから、金にはあまり不自由しなかったようだ。

関八州の懲りない面々


 関八州に逃げ込んだり、入り込んだ者は、ほとんどすべて江戸や在所を追放された無宿者・前科者である。
 彼らにとって八州廻りは、やはり「泣く子も黙る」と言われた通りの恐ろしい存在である。
 町方同心より低い地位にありながら、与力・同心以上の者しか手にできない十手−−銀磨きに唐草彫り、紫か浅葱(あさぎ)の紐に同色の房つき−−という権威のシンボルを八州廻りはちらつかせる。
 素人(しろうと)賭博で百たたき以下、かるた博奕で五十たたき以下の者は出先で即決。抵抗する者はその場で討ち捨てることができる。無宿者は有無を言わさず取り押さえ、犯罪容疑の濃い者は江戸送りに−−こういう権限を持つ八州廻りを恐れない者が、関八州に流れ込んだ者のなかにいようはずがないのだ。
 では、八州出役の登場により無宿者が根絶やしにされたかというと、さにあらずだ。小物は容易に捕らえられても、大物は巧みに網の目をくぐり抜けるのはいつの世でも同じのようだ。いわゆる侠客博徒の大物と称された懲りない面々を数えあげれば、枚挙にいとまがない。
 たとえば、ご存じ、上野の国定忠治だ。
 彼が追ってをのがれて16年近くも逃げ回ることができたのは、強力な組織力による。忠治四天王と呼ばれる三つ木の文蔵、国定村清五郎、境川の安五郎、植木村の浅次郎(俗称、板割りの浅太郎)、そして日光の円蔵が別格に座り、その下部組織も充実していた。
 忠治召し捕りの報が出役の側から名主に出されると、すでに買収されている名主は忠治方にそれを知らせる。ために、出役が踏み込んだときには、もぬけのカラ。いったん買収された人間は、忠治が捕らえられすべてが露見することを恐れて、立場もわきまえず忠治をかくまい始める。
 忠治の金は、名主・道案内・番太ばかりか、出役にまでばらまかれていた。
 それらの金は、もとを質せば、忠治一家の縄張り内の賭場のテラ銭だ。まことしやかに忠治の美談が伝えられているが、ほとんどすべてが偽りであり、彼は単なる博奕打ちの首魁に過ぎないのだ。
 忠治の処刑が嘉永3年(1850)であり、幕末に至るほど出役が増員されていることを思えば、犯罪件数は減るどころか、増え続けたことは確かだ。当初、一両年のつもりで発足した出役だが、必要性は増すばかりで、幕府の終焉する日まで存続した。

 年の暮れに江戸に帰り、七草が過ぎると巡回に出かける−−つまり、八州は博徒たちと大差のない旅がらすなのだ。
 江戸にいる間は評定所へ出るのだが、評定所の留役はこう言ってからかったという。
「八州廻りの子はたいてい十月頃生まれるのはよいが、間に生まれるのは剣呑なものだ」

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現代の犯罪は、陰惨なもの、あるいは
「しゃれ」にならないものばかり。
国定忠治という人物は、当時では
許すまじき存在なのでしょうが、
今でいうと、動物園から逃げだしたサルのようで、
思わず肩入れしてしまいそうです。

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(管理人)

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