第1回 2003年11月30日(日)
 毎年恒例のモミジ狩りに、紅葉谷(獅子舞)へでかけてみた。
 あいにくの曇天だが、昨日一日中降りつづいた雨で、せっかく紅葉したモミジやイチョウが散ってしまったのでは? と心配になったからである。
 いつものように、鎌倉宮(大塔宮)から瑞泉寺へ向かう道を永福寺跡で左折、二階堂川沿いをたどる。
 心地よい瀬音に導かれつつ、紅葉谷に分け入る。だが、紅葉しているのはイチョウばかりで、モミジは例年なみ(12月中旬)らしい。
 安堵感と失望感が、あい半したまま、満々と水をたたえ随所に小さな滝をこしらえている細流沿いの山道をたどる。晴れているときは、ここで「みちあんない」に出くわすのが常だが、今日は見当たらない。
「みちあんない」といえば、可愛い女性ガイドを思い起こされる人もいるだろうが、さにあらず。正しくは「はんみょう」という名の昆虫である。玉虫色した羽が美しい。人が歩く前に飛び降りてきては、人が近づくと、ほぼ1m先へと移動する。それを何度も繰り返す様子が、いかにもハイカーの道案内をつとめているように見えるのが楽しいのだが。
 ところで、頂上の大平山(標高200mたらずの、鎌倉最高峰のひとつ)に至る中腹に獅子の形をした大石がある。
 このあたりが、紅葉の絶景ポイントなのだが、実は、紅葉谷の正式名称は獅子舞というのは、ここに由来するらしい。
 ぬかるみに何度も足をとられながら、頂上にたどりつく。谷も、上から見下ろしてみると、けっこう紅葉していることが確認できる。目を遠方へと転ずれば、正面に鎌倉の海はたしかに薄い陽光をうけて光っている。が、右手に望めるはずの富士山は霞にさえぎられている。
 頂上(天園)の茶店で、しばらく休んだあと、瑞泉寺方向へと下る。
 ぬかるんだ道は、登りよりも下りのほうが厳しい。
「この程度のぬかるみを覚悟してトレッキングシューズを履いてきて、ほんとによかった」
 と思ったとたん、足を滑らせ、仰向けにズッテンドーだ。鎌倉の山道ではおなじみの大木、スダジーの地表に張り出した根っこを踏みつけたのが、いけなかった。こんな失態ははじめてだ。さいわい、擦り傷ひとつなかったが、足元を固めていることを過信したせいだと一瞬にして悟る。
 こういう思いがけない事件に遭遇したとき、わずか何十秒かの間に、いろいろな、たわいないことが思いめぐってくるから不思議だ。
 まず、「ちきしょう、スダジーめ!」と誰かのせいにしてみると、なぜか「どこかの国に、シオジーと愛称(?)
される大臣がいたっけ。シオジーって、いったい何の役に立っていたのか。まだ、スダジーのほうがましかもしれぬ」と思う。まぁ、シオジーのことはそれぐらいにしておこう。よけいなことを言うと、スダジーのように、こちらの足元をすくわれかねない。
 やはり今日は、「みちあんない」に会えなかったことが、そもそものケチのつきはじめかも知れない。
「先達(道案内のような者)は、あらまほしきものなり」と言ったのは、「徒然草」を書いた吉田兼好だったなぁ、とか予期しない妄想が次々と頭をよぎるのであった。
 とにかく、山歩きは晴れた日にかぎるようだ。できれば、もう一度、出直したいものだ。失敗したら、リベンジしてみる。これが生きる道、いや、歩く道には欠かせない鉄則だとしよう。