第5回 2004年5月6日(木)


祭りのあと


 鎌倉の魅力のひとつは、祭りのあとの余韻に似ている。
 ひとしきりにぎわった小町通りや駅前あるいは海辺から、観光客らしい大勢の姿が三々五々消えはじめる。陽がかたむきだす。そして、昼間の熱気が徐々に冷めていく。ちょうど、その頃からである、この町が別の顔をのぞかせるのは。
 それは、一日という時間の推移のうちだけのことではない。たとえば、正月三が日や、ゴールデンウイークなどの翌日などにも共通する趣きである。動から静へ、騒から寂へと移るときの、いわば、ほとぼりが冷めるのを惜しむ気持ちに似ているのである。
 どこか、いとおしいのである。
 そんな、いとおしさを求めて、黄金週間明けと同時に歩きはじめた。
 若宮大路の下馬四つ角を名越通りへ。大町四つ角を過ぎると、左前方の長い石垣を覆いつくし道路にしたたり落ちんばかりに咲くツツジの紅色が目に飛び込んでくる。鎌倉随一のツツジの名所、安養院である。
 境内もツツジ一色。高さ3メートルもある大株のが、まっ盛り。昨日までの数日間、大勢の人々の目を楽しませたことであろうが、その期間は天候にめぐまれなかったはずだ。うって変わって五月晴れの今日は、ツツジもいちだんと色あざやかで、祭りのあとの景色を華やいだものにしてくれたとは、ちょっぴり皮肉でもある。
 安養院を訪ねると、もう一息先の安国論寺にまで足を伸ばすのが常である。ここの御小庵で、日蓮上人が「立正安国論」を著した。寺号は、これに由来しているのであろう。
 安養院と異なり、ここのサツキはすでにしおれ、境内は初々しい緑一色。出会った人は、たったの4人。聞こえてくるのは、ウグイスとシジュウカラのさえずりばかり。
 まさに、祭りのあとの静けさである。
 境内をつつみこむ格好の山道に登ってみる。ここは巡礼路と呼ばれている。1周20分ほどで巡礼者気分を味わうことができるのだから、わたしのような、横着な巡礼願望者には、うってつけだ。頂上の鐘楼(平和の鐘)わきから望める海の景色と、緑陰をかすめて、やわらかに吹きのぼる涼風に、しばし身をゆだねることで、法悦の気分にひたれるのだから申し分なし。
 毎月、第2か、第3日曜日かに、本堂前の庭で、講談師宝井琴梅さんの「辻講釈」が催されていたことを思い出した。現代社会をするどく批判する時事もの、そして古典ものを、その昔、日蓮が「辻説法」を説いたことにちなんで、地道に精進する琴梅さんの芸道に対する姿勢は忘れがたい。近々、日曜日にふたたび訪ねてみよう。
 そろそろ、陽も傾きはじめたようだ。海岸では、一日中、ウインドサーフィンに興じた若者たちが帆をたたむ頃合いであろう。海と空がひとつに溶けあう夕まぐれ、若者たちによる祭りのあとの温もりを感じてみたくなった。