2004年6月2日(水)
文化放送
『吉田照美のやる気MANMAN』
午後2時20分〜40分の
「午後2時の興味津々」

◇◇◇

PART 3

「ひでよし」
「りきゅう」
「いえやす」

「ひでよし」


吉田:信長亡き後、豊臣秀吉はどういう「茶の湯ご政道」をやっていったんですか?
三宅:千利休が進めてきた「わび数寄(すき)」というのがありまして、これは「簡素」を旨としているんです。ですから、茶室にしてもですね、お茶碗なんかにしても割合簡素なものを使う。
ところが、秀吉は非常に新しがり屋な男ですから、なんと、黄金の茶室を作る。黄金と書いて「きがね」と読むんですけどね。
吉田:あー、有名な話だね、これは。
三宅:で、道具までも、もう、全て金づくしですよ。
吉田:すごい派手だねえ。ド派手すぎるよねえ。
小俣:ウフフ。
三宅:ド派手ですね。しかも、天皇・朝廷のところに持っていって、そこで組み立てさせて、茶会を開くという。
小俣:あ、その黄金の茶室は、たためて運べるものだったんですか。
吉田:そうだったんだあ。知らなかったねー。
三宅:今どきあってもおもしろい。
吉田:おもしろいですねえ。今あったらねえ。すごいアイデアだと思う。おもしろーい。
三宅:それはなぜかというと、茶室を朝廷に持ち込めるという理由からなんですよ。
吉田:そういう狙いなんだ。
三宅:とにかく、相手をビックリさせてしまおうということです。こういう知恵がすごいです。
吉田:秀吉は、それで、信長が手にすることができなかった、あの「楢柴」を手に入れたと?
三宅:そうですね。これは九州の島津征伐の時、秀吉が乗り込んでいって、「楢柴」をまんまと手に入れるわけです。この時も、「城に火をかけるな」と言ったんですね。
吉田:みんなそうなるわけだ。それぐらい大切なものなんだね。なんか城のほうがいいような気がするんだけど。
小俣:田畑やお城をもらったほうがねえ。その時、誰かひとりでも「こんなお茶碗を、なんで大事にするんだ!」と言う人はいなかったんですかね。
三宅:そんなこと言う人は、「お前はもういらない」ということになっちゃうんですね。

「りきゅう」


吉田:冒頭で、「家来たちは、領地よりも名物道具を貰うことを名誉とするようになる」という一文を紹介させていただいたんですけれども、茶の湯のどういうところが、これほどまでに戦国の武将たちをひきつけたんでしょうか?
三宅:んー、これは、信長の家来に絞っていえば、信長という親分がやっているんですから、それに追随していくしかないわけですよね。これはごく当たり前ですけどね。一般的にいえるのは、茶の湯というのは、「禅」と深く結びついています。当時の武将たちっていうのは明日をも知れぬ生き方をしてるわけですから、茶の湯にひたることによって、「心の救い」といいますか、「やすらぎ」を得ていたんです。
吉田:あー、やっぱり「癒し」を求めていたんだね。今とおんなじだね。
小俣:たしかに、小さい茶室というのは非日常的な空間ですからね。
三宅:お茶を飲むと気分がよくなりますし。今でも「お茶しましょう」というのと同じ気分があったんじゃないですか。
吉田:で、豊臣秀吉といえば千利休ですね。秀吉のもとで、この千利休という人はどんな役割をしていたんですか?
三宅:これは、信長の頃からそうですけれども、「お茶頭(さどう)」といいまして、茶の湯のコーチングスタッフたちのヘッドコーチですね。まあ、お茶の指南役、それのトップだったんです。それがどんどん浸透していきますから、次第に権威を帯びてきちゃう。すると、諸大名までもが利休に習いたいということになる。全部集まりだすわけです。
吉田:すごく仲がよかったはずの利休が、秀吉から切腹を命じられることになるわけですけれども、まず、ふたりが反目しあうようになった原因というのは何だったんですか?
三宅:これは、「茶の湯ご政道」というのが、秀吉のもとにまとまっていればなんの問題もないんですが、利休のほうへ権力が集まりだしました。で、石田光成が主力になって、利休に反対していくわけですよ。こんなことじゃダメだ、と。それで「茶の湯ご政道」をやめよう、と。そういう秀吉への進言ですね。すると、どんどん利休の立場が悪くなっていく。
小俣:そうですよね。あの黄金の茶室なんか、本意じゃないでしょうから。
吉田:利休は、武将じゃないのに、切腹なんかさせちゃうんですか?
三宅:それがいちばんおもしろいところですね。つまり、武将扱いしていたということなんです。利休は町人じゃないんだ、と。それぐらい秀吉は、利休を大切にしていたんです。生きた「名物道具」として扱っていたんですね。ですから、最高の誉れある死に方を与えたわけですよ。そこに、どれほど利休を愛していたかがわかる。

「いえやす」


小俣:あの、さっきの因縁の「楢柴」ですが、これは、その後どうなるんですか?
三宅:「楢柴」はですね……、ええっと「楢柴」は、っと(予期しない質問に、しばし頭の中の引き出しを開けたり閉めたりする三宅)。
ええ。これは、やはり大坂城ですね。夏の陣の時に、やはり燃えるんですけれど、そこから掘り起こされています。で、徳川家康のもとへと入っていくんです。
吉田:はー、家康のところに入っちゃうんだー。
あの、「天下の三肩衝」といわれる「楢柴」「初花(はつはな)」「新田(にった)」っていうのは、全て家康が手にしたっていうことですか?
三宅:ええ、そうなんです。それだけじゃない。ほとんど90パーセントぐらいの名物は全部、家康のもとへ集まってきたんです。
吉田:相当幸せな気分を味わったんだろうね、家康さんは。
三宅:この『戦国茶闘伝』を書いたのは、そういうところが意図なんです。家康さんていう人は、「鳴かぬなら、鳴くまで」待っていればよかったんです。
吉田:すごい人だよね。はーん。おもしろい!


小俣:ぜひ、本も読んでください! 『戦国茶闘伝』。洋泉社から756円で発売になっています。
吉田:今日うかがえなかった話もいっぱい出ていますので、ぜひ買ってお読みになっていただきたいと思います。今日は作家の三宅孝太郎さんにお話をうかがわせていただきました。どうもありがとうございました。
小俣:ありがとうございました。
三宅:どうもありがとうございました。