篠屋の主に収まって十年ばかり経った甲午(きのえうま)の年のこと。
 久助師匠もすでに亡く、その後、一世を風靡(ふうび)した鶴屋南北もつい先年、冥土へ赴き、芝居の世界も世の中同様大きく変ろうとしておりやした。
 年が改まってからあと、春とは名ばかりで寒い日が続き、空っ風がたびたび江戸の空を砂色に染めました。
 初午を数日後に控えた頃、夜来の風も止み久しぶりに穏やかな日和(ひより)になったものですから、浅草の観音様へ月参りに出かけやした。
 いつもの通り、馬喰町を浜町河岸に折れ、栄橋の袂(たもと)まで帰ってきたときでした。
「善七の父っつぁんじゃねぇか。五助さんだろう? いやさ、篠屋の旦那!」
 やけに張りのある若い男の声が、擦れ違いざまに耳を劈(つんざ)くじゃござんせんか。
 相手が誰かは即座に判ったのですが、顔も上げずに行き過ぎようとしますてぇと、
「父っつぁん、もうそんなに自分を痛めずともいいんじゃねぇのかい? いくら伜の不始末だからって」
 男は二、三歩戻り、右腕をぐいと掴(つか)みやした。やむなく男の顔を上目づかいに見るてぇと、やはり藤太でござんした。
「それとも何かい。もう悪所から足を洗ったし、手も切ったって訳で、昔の芝居仲間たァ口もきかねぇて言うんじゃ?」
 年寄りの頑(かたくな)さに業を煮やしたらしく、藤太のヤツ、言葉尻を凄ませやがった。
「とんでもねぇ。何を言いやがるんでぇ」
「こうなりゃこちらも負けちゃおれませんや」
 言うなり、藤太を睨み返してやりやした。
 と、藤太め、「その意気だよ、父っつぁん」て、途端に顔を崩しやがった。
「父っつぁんの律義振りにゃ感じ入るが、もうその必要もなさそうだ。堺町にしろ葺屋(ふきや)町にしろ、楽屋内はすっかり変っちまったさ。十年前の善七のことなぞ口にする者ァ一人もいやしねぇし、善七に痛めつけられた当の与三だって結局はしくじった末に、三年前から行方知れずだぜ」
 痛む心を癒してくれようとする藤太の気持ちは嬉しいのだが、もう芝居者から忘れられちまったことの寂しさの方が強うござんした。
 しかし、藤太の言葉で、幾分肩の荷が下りたような気にもなっておりやした。
 この藤太てのは、伜、善七と餓鬼時分からの朋輩でしてね。この九指欠落で中村座の作者部屋を退いたあと、十六歳になった善七を狂言方見習いに出したとき、藤太も同時に仕切場の方に入ったのでございます。
 辛抱強く働き者の藤太とは裏腹に、堪え性のない善七は、一年も経たぬうちに若い衆(奥役の下働き)の小言と意地悪な仕打ちに堪えかね、あろうことか、囃し方の太鼓の桴(ばち)で叩きのめし半死半生の目にあわせたまま、ふっつり姿を暗(くら)ましちまった。その前に勤めを罷(や)めていたとはいえ、伜の行いはわたしと芝居の仲にのっぴきならねぇ楔(くさび)を打ち込んでしまいやした。
 わたしが中村座の楽屋はおろか、全て芝居町へ足を踏み入れず、芝居者と顔を合わせることさえ避けるようになったのは、その時からのことでございます。
 堺町、葺屋町とは目と鼻の先ほどの堀江町に居ながら、芝居の表を通ることさえ避け我慢しつづけてきたのは、伜の不始末に対するせめてもの謝罪の気持ちでして。
 また、それまでは素寒貧のくせして舟遊びの真似事がしたいと言っちゃ夏の宵などによく訪ねてくれたおの字連中にしても、それを機に誰一人として立寄っちゃくれねぇんで。
 これも、芝居道を踏みにじった者への当然の仕打ちだと堪え忍んで参りやした。
 そんな永年の蟠(わだかま)りを乗り越えて、こちら岸に小舟を出してくれようとする藤太の思いやりにゃ心底、両手を合わせておりやした。
「父っつぁんは伜の罪の償いをもう充分にやりなすった。また昔のように堺町へ顔を出しておくんなせぇ。どうせ、世の中のすね者や身をもち崩した連中の吹き溜まりだ。いつまで義理立てするにゃ及ばねぇ」
 藤太の言い分には一理あることは認めながらも、伜のこととなると、どうにも心が頑になりましてねぇ。
「有難うよ。お前がそう言ってくれるのは嬉しいが、この道はそんな甘いもんじゃねぇ。人の世の吹き溜まりだからこそなおさらじゃねぇか。俺は、伜のしたことは一生この世界じゃ許されねぇことだと思ってる。殊に、身を隠したままいつまでも頬っかぶりしつづけようとする善七の腐りきった心根が許せねぇのよ」
 外を歩くときにゃ、両手は人目につかぬように懐に入れたままですが、その両の拳を力一杯懐中で打ち合わせて思ったもんでさ。
〈善七の馬鹿め。とっとと戻ってきて、この拳で思いっきり殴られちまえ。そうすりゃ、お父っつぁんだってお前だってどんなにさっぱりするか知れやしれねぇ〉とね。
「するってぇと何ですかい」
 藤太はわたしの心を探るように、じいっと顔を見据えながら言うには、「たとえ、善七が詫びをいれて戻ってきたとしても、敷居は跨(また)がせねぇってことですかい?」
「お前、どこぞで善七に会ったんだな? で、どこであいつと……いや、どこであろうと知ったこっちゃねぇ。むろん、金輪際、敷居を跨がすわけにゃいかねぇ」
 ぐらつきかけた心の内を見透かされたくないと、又々頑につっぱねてしまいやした。
 さすがに、藤太の視線にゃ堪えきれず、河岸の柳に目を泳がせはしましたが……。
 藤太の目は動かず、わたしの近頃めっきり増えた鬢(びん)の辺りの白いものに注がれているのがようく判りやした。
「そうですかい。親子揃ってよくよくの頑固者だ。父っつぁんにゃ有難迷惑かも知れねぇが、俺ィらも偶々ヤツに出会っちまったんだ。このままヤツのこと黙っているのも寝覚めが悪ィや。聞きたくなきゃ、耳をふさいでいておくんなせぇ。つい十日余り前、野暮用で小田原の城下まで行った折のこと。奇遇ってなァこのことだぜ、善七とばったりだ。ヤツも根っからの芝居者だ。江戸の吹き溜めからふっ飛んだって、ちゃんと外の掃き溜めで息をついてやがるじゃねぇか。江戸に比べりゃ、そりゃちゃちな宮地の芝居だが、善七のヤツ、その芝居内じゃ仲々の顔になってるらしい。父っつぁんのことも気にしていたし、やはり江戸が恋しいようだ。その内帰ってこいって言っておいた。戻ってくりゃ、俺ィらのところにでもころがりこませる腹だ」
 横を見せちゃいるが、耳はそばだてておりやした。そして、両の拳を打ち合わせましたとも。
「おっと、いつまでも油売っちゃいられねぇ。明日が初日だぜ。忙しいこった」
「今年の堺町は、随分遅い春じゃねぇか」
 わたしが慌てて藤太の方を振り返り言ったもんだから、藤太、苦笑しながら噺を次いでくれやした。
「内輪話をすりゃ金主方の懐都合だろうが、ひと月遅れの春芝居の上に、のっけから独参湯(どくじんとう)だ。この一年も楽じゃなさそうだぜ」
「独参湯、結構じゃねぇか。初手から切札を切るのも勝負師の意気てぇもんだぜ。たしか、八百蔵の由良之助と定九郎、高麗蔵の勘平。それに、おかると顔世が半四郎だったな」
「さすが父っつぁんだぜ。顔は大川の方を向いてたって、心はちゃんとこちら向きだ。しかしな父っつぁん、京橋様がご健在なら、こんな見えすいた手は打たなかろうて」
 京橋様というのは、永年中村座の金主を一手に引き受けていなすった大久保今助様のことで、京橋に住居していたところから、芝居者からはそう呼ばれ、敬われていたのでさ。
 その京橋様も、二日前に亡くなられたと藤太は言い残して去ったんだが、これを聞いたときにゃ、江戸の芝居は変っちまう、いや、芝居だけじゃない、近頃飢饉(ききん)続きの上に火事も多い、不景気風が吹き荒れて、世の中どうにかなっちまうという気がしきりに致しました。
 独参湯を一番欲しがってるのは世の中じゃなかったのですかね。
 むろん独参湯てなァ、気付けの妙薬のことですが、芝居の方では「仮名手本忠臣蔵」を上演(だ)せば大入りまちがいなしてことから、不景気風を吹きとばしてくれる忠臣蔵を独参湯と呼ぶのでございます。

 藤太のせいで久々に芝居の風に当てられたわたしは、つい、目の前の栄橋を渡ってしまっておりやした。
 いつもなら、栄橋を右手に睨むだけで、浜町河岸をもう二つ先の小川橋で渡り、住吉町を抜けて帰るのが浅草からの道筋。それは、わざわざ、堺町、葺屋町を避けるための遠回り道で……。
 ついふらふらと栄橋を渡り、高砂町と富沢町を隔てる道筋に一歩踏み入れた途端、心の臓の急な高鳴り。この道を真直ぐ行けば、中村座、市村座の楽屋口に通じるいわゆる楽屋新道ってことに……。
 いけねぇいけねぇ、この円(まる)こい拳(て)で伜の頭をぶん殴るまでは、決して芝居道へは足を入れないと、ついさっき観音様に誓ったばかりなのを思い出し、栄橋へと戻り橋でさ。

◇◇◇

この話は、第4回に続きます。

「善七の父っつぁんじゃねぇか。

五助さんだろう?

いやさ、篠屋の旦那!」

10年も経つと、世の中、

随分と変わるものです。

管理人)

◇◇◇

第1回

第2回

第3回

第4回

第5回

第6回

第7回

第8回

最終回