翌朝も暖かい日和でございました。
 陽だまりでしゅんに髪を整えて貰ったあと、源三の風邪の具合を見舞うために、照降町まで出かけやした。
 源三の容態、思ったほど重くなく、わたしがわざわざ見舞ってくれたてんで喜びまして、ね。急に塩梅が良くなったとか言って源三、刺子(さしこ)を羽織って、二人で火鉢を挟みちびりちびりやり始めやした。
 源三の女房てえのがまたよく気の付く女でして、わたし用のだと言うやや大きめの盃には、黒羽二重の袴(はかま)を履かせ、胴のくびれにゃ紫縮緬に太めの糸縒り合わせた輪を結いつけてございますんで。こりゃどう見たって助六でござんすよね。わたしゃ、暫くうっとり見惚れちまいましたとも。
「いえ、全てはおしゅんちゃんの真似ですよ。そりゃ、旦那さんに使って貰うためにと思って、盃の形のいいの多少あちこち探しまわりはしましたけどね」
 わたしの感じ入る様子を見て、女房は嬉しそうに言いつつ酌をしてくれやした。
「いやァ、それにしても、助六たァ恐れ入ったね。いかなしゅんでもここまでは……」
「おしゅんちゃんだって、芝居を見知ってりゃそれ以上のこと考えつくでしょうよ。あたしだって、実はそれしか知らないんだから。成田屋の助六、もう随分昔に一度見たきりだもの。こんなに褒(ほ)めて頂けるなら、ちょくちょく芝居見ておかなきゃなりませんね。誰ぞ連れてってくれる殿方探しましょうかね」
 と女房、亭主に酌をしようとするてえと、源三急に咳込んで、刺子を首の辺りまでつまみ上げましてね。大笑いでさ。
 そのうち、源三の女房、真顔になってこう言うんでさ。
「旦那さん、おしゅんちゃん
のことどうするおつもりなんですか?」
「どうするって?」
 突然訊かれたもんで、わたしゃ何かしゅんに悪いことをしているのかと思いまして、逆に訊き返しやした。
「いえ、おしゅんちゃんのこの先のこと、とくに考えてないようでしたら、お願いがございますもので」
 女房の願いというのは、しゅんを伜の嫁にしたいと言うことでござんした。
 一人息子の岩吉は、口数の少ない真面目な男で、魚河岸で働いてましてね。わたしンとこの善七より二つばかり年下でした。
 忙しい夏の宵など何度か篠屋の手伝いに来てくれたことがあり、わたしはもとより、しゅんもよく存じておりやした。
 岩吉もしゅんに気があることは確かなようなんですが、母親の方がそれ以上に肩入れしちまってましてね。
「昨日、旦那さんの留守中にうちの人のことお伝えに上りましたときもね、おしゅんちゃん、旦那さんの大切な三味線箱をそれはそれはわれ物にさわるような手付きで空拭きしながらこう言うじゃありませんか。『できることなら、あたしのこの指を旦那さまに差し上げたい』ってね。それから、旦那さんを実の親以上に大切な人だと思ってるてんでしょう。あたしは、あんなに心根の優しい娘を今時見たことも聞いたこともありゃしませんよ」
 と言って、女房はしゅんを褒めちぎる。
 聞かされる方だって悪い気はしやしません。
 だけど、褒められりゃ褒められるほど、しゅんがわたしの手元から飛び去っちまうような気がしてならねえんで。これが嫁入り前の娘を持った父親の胸のうちってもんですかね。
 女房の勧め上手にのせられて、盃の度も過ごしちまったようでした。ミイラ取りがミイラてのはこのことでして。いつの間に寝ちまったのか、気がついたときにゃ源三と枕を並べていましたっけ。面目ないことで。
「花見時になりゃ、またうんと精出して貰わなくちゃなんねぇ。今のうちにせいぜい養生しておいておくれ」
 わたしは源三を励まし、女房の頼みには、折を見てしゅんに当ってみると言って照降町をあとにしやした。
 お天道さまぁ、とっくに天頂から傾き始めていなすった。冷てぇはずの風を快く頬に感じながら川筋をぶらぶらきますてぇと、都々逸、長唄、次から次へと口をついて出て参りやした。

 ちょろちょろ水の一筋に、
 恨みの外は
 しら鷺(さぎ)の、
 水に馴れたる足取りも、
 濡れて雫(しずく)と
 消ゆるもの。

 などと唄(や)りながら堀江町に入ってきますてぇと、どこぞの船宿の二階座敷から、音締めの冴えた三味の音が聞こえて参りやして、そりゃ心地よい気分でござんした。
 表戸が開いたままになっている篠屋の門口から、いつになく華やいだ笑い声が漏れてるじゃありませんか。間違いなくしゅんの屈託のない笑い声でした。
 駈け込むようにして敷居を跨ぎますてぇと、上がり框(がまち)に腰を掛け、しゅんと並んで楽しげに話し合ってる男がいるじゃありませんか。
 嫌なムシがわたしの胸ン中をかすめ飛びやした。
 大店(おおだな)の若旦那風なやさ男。身形(みなり)を一目見ただけで、遊蕩生まる出しってやつでさ。
 縞縮緬に黒半襟をつけ、帯は博多。羽織は菊五郎格子の短めとくりゃ、自分で道楽屋の看板背負ってるようなものでしょう。
 男は寿太郎と名乗り、思わく通り大店の道楽息子でござんした。
 何であれ、客とあれば上がり框で用を足す訳にゃ参りません。角火鉢の前に坐しての話ってことになりやしょう。
「旦那がその昔、中村座の作者をなさっていたことを聞き及びまして、お願いに上った次第でございます」
 その若いの、火鉢の前に坐るか坐らねぇうちに、両手をついてこう切り出しやがった。
「へえっ、わたしの昔のことを知っての頼みとは、こりゃ初めてだ。一体、誰がお前さんにそれを……?」
 わたしは、昔の、いやそれも芝居者としての自分を覚えていてくれる者がいることを知って、年甲斐もなく嬉しくなっちまいました。
「そのお方のおっしゃるには、ちょいと訳ありだから旦那には名前を伏せて置くようにと……。その内、挨拶に伺うということで」
「ほう、訳ありのお人がねぇ」
 わたしは昔馴染みの顔をあれこれ思い浮かべてみるのだが、すぐには見当もつかず、相手の顔を見て訊きやした。
「ときに、願いてぇのは?」
「はい、多分風体でお察しだとは存じますが、わたしはどうでも芝居者になりたくて、旦那のお口添えを願いたく存じまして……」
 わたしをこの若者に教えた者は、もし芝居者であれば、何もわざわざわたしの処へよこさなくとも自分で口添えしてやれる筈。もし、それができないってことであれば、芝居に直接顔出しできない者。それなら、わたしと別に変りはない筈。
 するてぇと……と考えてるうちに益々判らなくなっちまいまして。ま、誰であれ、芝居者のわたしを覚えていてくれる人がいるてぇことだけを素直に喜ぶことに致しやした。
「お前さん、芝居者たっていろいろあるが、一体、何がやりたいんで?」
「はい、そりゃもう芝居へ入れるならなんでも結構なんでして」
「なんでもたってお前さん、あんたも芝居好きなら、自分は何に向くかぐらいは大凡(おおよそ)の見当ぐらいつく筈じゃねぇのかい?」
「そりゃ、役者になれれば何よりとは思いますが……」
「役者になるにゃ、薹(とう)が立ち過ぎてらァ」
「でございますよね。だから、何でも結構と申し上げましたので」
「その芝居ならなんでもてぇ考えが、わたしにゃ気に入らねぇのさ」
 わたしは少しむっとして、睨んでやりやした。丁度そのとき、しゅんが、「ちょっと出掛けて参ります」と言って、風呂敷包みを胸に抱いて出ていきやした。わたしが、しゅんに声を掛けようとするてぇと、若いの、ぐいと身を乗り出して、不安げに訊ねるじゃありませんか。
「二十歳を過ぎてからといいますと、結局、おの字ってことになるんでしょうか?」
「おの字って、そんな言葉知ってるのかい?」
「はい、いえ、旦那を紹介して下さった人が多分そんな処になるんじゃないかって、おっしゃってましたものですから」
「とんでもねぇ。誰がお前にそう言ったか知らねぇが、そいつぁとんだ料見違いだぜ。それじゃまるで、齢さえくってりゃ狂言方や囃し方になれるみてぇじゃねぇか」
 わたしは、おの字がみくびられた思いがし、段々言葉も荒れちまったようでした。
「そのような意味でその方もおっしゃったんじゃ。わたしも決してそんな風には……」
「断っておくがな、芝居てのは大概餓鬼の時分から始めるから辛抱できるのよ。ところが、おの字にゃ齢くってから入る者が多いから、並大抵の辛抱じゃ堪えきれねぇものなんだ。三日もすりゃ吹き溜めから飛んでくのがオチさ。ちょいと筆が立つ、遊びで三味線いじったぐらいじゃとても覚束ねぇ。見たところ、お前さんにゃ、その一番大切な堪え性てものがなさそうだぜ」
「そ、そんなこと、やってみなけりゃ判りっこないじゃありませんか」
 途端に、若いの熱くなって、こめかみの辺りに蒼(あお)い筋を走らせやした。
「それ見な。ちょいとわたしに言われたぐれぇですぐにムキになる。悪いこたァ言わねぇ、芝居のことなぞ忘れてせっせと親孝行でもするんだな。どうでもやりたけりゃ、勘当状貰ってから、も一度出直してきな」
 て訳で、若いのを帰しちまったのはいいのだが、どうにも後味が悪くて仕方ねぇもんで、しゅんの戻るのも待たず出掛けちまいやした。
 何処へ行くあてなぞありゃしません。
 すぐン処の思案橋で思案するなんて、駄じゃれにもなりゃしません。
 気に懸ることが二つございやした。一つは、誰がわたしのことを教えたかということであり、いま一つは、当の寿太郎てぇ男のことでして。
 これまで多くの駈け込み客と応対して参りやしたが、この時ほど胸にしこりの残ったことはついぞございません。
 あれこれ考えているうちに、いつの間にか永代の橋上に出ていましたっけ。
 橋の欄干に、例によって懐手した両肘をかけぼんやりと大川を見下ろしていた目を徐々に上げますてぇと、淡く霞んだ彼方に千石舟の帆柱が幾本も目に入って参りやす。
 何もかもが、おだやかな春の訪れを息をこらして待っているという風情でございます。
 目を、なお遠くへ転じたときのことでございました。しゅんの楽しげな笑い声がふと甦って参りやした。先刻、篠屋の門口から洩れていた、寿太郎を前にして笑っていたあのしゅんの声でござんした。
 寿太郎に必要以上につらく当り、後々まで心にしこりを残しているのは、ヤツとしゅんへの悋気(りんき)のなせるわざだったことに気づいて、面映うございました。
 遠くに、墨の一刷毛(はけ)で描かれたような房州の山並みが見えておりやした。
 しゅんも、お針の稽古の帰りには、ときどきここへ立ち寄ってこうして遥か生国である房州の影を慕ったことだろうと思い巡らせたり致しやした。
 自分じゃ気づかないが、随分永い間ぼんやり佇(たたず)んでいたとみえます。ブルッと寒けがして我にかえったような次第で、ぼつぼつ帰りの道につきやした。
 道すがら、小さな稲荷の祠(ほこら)をみつけやした。
 祠前には、新調されたばかりの幟杭(のぼりくい)が数本、白い木膚(きはだ)を見せて三日後に控えた初牛祭を待ちあぐねているかのようでござんした。
 祠の前にしゃがみこみますてぇと、懐の中で両の拳を押しつけて祈りやした。
 祈るというより、手前勝手な妄想に浸っているようなものでござんした。
 源三が操る屋根舟に、善七としゅんが仲睦まじ気に乗り、しゅんの腕ン中にゃ絹ぐるみの赤子が抱かれている。それを舳先(へさき)に坐したわたしがほほえましく眺めているんでさ。

 思案橋近くまで戻りますてぇと、お誂(あつらえ)向きの夕映えでございました。
 水面と雲を溶けこませ始めた紅色。みるまに、あやなす錦を一面に流したかに思われる川面。それはそれは、お江戸広しと言えども、これほど目もくらむばかりの夕映えを望める処はございますまい。
 わたしは、心密かにここを夕映え河岸と呼んでいるのでございます。
 思えば一昔前のことになりやしたが、わたしがまだ篠屋の主に収まる以前で、やっと三枚目作者になった時分のこと。むろん、誰に頼まれた訳でもなく、この夕映え河岸の情景を思い浮かべて浄瑠璃(じょうるり)を書き、久助師匠に渡したことがございました。
 不慮の出来事で足腰の立たなくなった踊りの名手が、或る日、駕籠(かご)で夕映え河岸を通りかかり、余りの絶景さに見惚れているうちに、いつしか錦を織りなした川面に立ち出でて、狂おしいばかりに舞いつづけるという趣向でござんした。
 浄瑠璃の名手と呼ばれた左交師匠のことがいつも頭から離れずにいたもので、わたしもと思って書いてみたのですが、やはり物真似の域を脱しきれなかったのか、久助師匠からはその後何の言葉もなしに過ぎ去っちまいました。
 それはさて置き、当時からこの河岸が好きでよく足を運んだものでござんした。それが、まさかその後、この夕映え河岸の傍に住めることになるなんて思ってもみないことでした。
 それにもまして奇異に思いますのは、自分の書いたのが足の不自由な踊り手であり、己は指のない浄瑠璃作者見習い、いや、唯一つ得意の三味線も弾けなくなった幇間のなれの果て。因縁といや、わたしも伜も共にたいこと芸者の間に生まれた身。その後でさ、今まで頭も下げたことのない神仏に手を合わせるようになったのは。
 手を合わせるたって、その気になった時にゃ指はなく、拳を摺り合わせるだけなんですから、何とも皮肉なものじゃござんせんか。

◇◇◇

この話は、第6回に続きます。

しゅんの謎は深まるばかり。

「夕映え河岸」の連載は残り4回。

ここから一挙に話が

進展していくのでしょうか。

(管理人)

◇◇◇

第1回

第2回

第3回

第4回

第5回

第6回

第7回

第8回

最終回