惚け老人対策として
藩医による安楽死という
非情手段に踏み切った
小藩に起こる騒動と波紋を
描いた、大好評短編小説。

第3回
(2003年3/16 UP)



 藩士の妻、なかんずく若い妻女の急死が相次ぎ、藩士の士気に悪影響がでているという噂が城中に拡がり始めたのは、昨年の暮れ頃からであった。
 藩にとって由々しきことである。大目付、小暮高次(こぐれたかつぐ)のもとで、急遽(きゅうきょ)、実態調査と原因究明が開始された。調査団には藩医二名も加わり、町医者全員にも協力が要請された。
 美紗の実兄で、御徒横目の小暮平馬も、妻女を亡くし意気阻喪している藩士の調査にかりだされたのは言うまでもない。平馬は小暮高次の娘きくと養子縁組していて、大目付とは義理の親子である。
 城下の町民が花に浮かれる頃になって、あらかた、調査結果が出揃っていた。
 意外な結果報告を前にして、小暮高次は「ウーン」と唸り声を発しただけで、しばし腕組みを解こうとはしなかった。
 この一年のうちに妻女を亡くした藩士、十一名。そのうち十名もの妻女の死因が自害。
 八名は座敷の梁から宙づりになっての縊(くび)れ死にで、二名は服毒死。残る一人は、食欲絶無のすえ、縁側からの転落死だという。
 なにゆえの自害か。それら藩士、つまり彼女たちの夫に不都合はないようだ。家族構成で共通する部分が一つあった。いずれの藩士の家にも、この数年の間に家督を嫡男に譲り、いまは隠居の身である老いたもと藩士がいることであった。しかも彼らは、ことごとく、自分自身で己の日常を処すことができない状態であった。
 症状は物忘れから始まる。やがて、身内の者の名さえ覚束(おぼつか)無くなりだした途端に、食事、用便、着替えなど、日常的な行為が己の意のままにならなくなる。
 それでも、用便のときだけは羞恥心が働くせいか、人目を避けて用を足し、その排泄物を着衣にくるんだまま押し入れや戸棚の奥に隠し始める。そのうえ、幾人かは家人の目を盗んでは外出し、他人様に迷惑をかけたりもする。
 出来うれば、世間の耳目に触れさせたくない。とはいえ、座敷牢を設(しつ)らえ閉じ込めるに忍びない。町医者に薬料を惜し気もなく投じてみても、効験なし。
 当然ながら、それらの世話は妻か嫁の務めとなる。だが、妻も夫の世話を焼くには老齢すぎる。いきおい、負担は嫁の肩にのしかかる。
 普段から舅(しゅうと)、姑(しゅうとめ)に孝養を尽くすと評判の嫁ほど介護疲れが甚だしく、ついには自責の念に苛(さいな)まれつつ己を虚しくするのだと調査結果は結論づけていた。
 大目付の一存で善処しうるほど容易な事態ではない。
 小暮高次は、城代家老に政議を開くよう要請した。もとより、城代に異存のあろうはずはない。さっそく、城代、奉行、中老、年寄、大目付、侍頭が出席して執り行われるのが通例である重要政議がもたれた。
 小暮高次が実態調査結果の一部始終を披瀝しおわると、城代が口を開いた。
「かかる異変は、かつて、その例を見ぬものである。これを看過いたさば、増加の一途を辿(たど)ろうことは必定。聞けば、いずれの妻女も若く、藩士の妻の鑑(かがみ)だったというではないか。そのような妻の無惨な最期を目にした藩士の落胆は如何ばかりか察して余りあるが、見逃せぬのは、藩士としての務めに支障が生じている現状である。また、それほどの妻女を次々と亡くすことは、藩の将来を背負って立つ有為な人材の芽を摘むに等しい。そればかりか、かような不祥事が、万一、公儀の耳に達するようなことがあっては一大事である。畢竟(ひっきょう)、藩の存亡に関わりかねぬ大事と心得、おのおの方の意見を拝聴したい」

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