惚け老人対策として
藩医による安楽死という
非情手段に踏み切った
小藩に起こる騒動と波紋を
描いた、大好評短編小説。

第4回
(2003年3/23 UP)

 かかる事態を重要政議扱いとした城代の意図が明確になったようだ。どんな些細なことでも、幕閣に醜聞として伝わることを最も惧(おそ)れるのが当藩の習性であることを、居並ぶ重職者たちは百も承知している。
 外様ながら五十万石を領し、かつて一度たりとも改易の憂き目をみることなく今日まで無事推移しえてきたのは、ひとえに、徳川家に恭順の意を示すための歴代藩主の並々ならぬ努力あったればこそなのだ。
 謀反する意など毛ほどもないことを示すために、惚(ほう)け者を装いつづけた藩主もいた。将軍が側室に生ませたあり余るほどの娘を、つぎつぎに藩主の嫁に迎えもした。また、将軍家の無理難題、たとえば仏閣や城の造営という多大な出費を伴う労役にも堪えてきた。
 対策や如何に−−再三、城代は促したが、それに応じる者はなかった。
(隗〈かい〉より始めよだ。本政議を要請した者が、口火を切るべきだ)
 衆目の一致するところのようだ。大目付に視線が集まった。
(かかる事態が生じたのは、かつての藩主が惚け者の擬態で将軍家に媚〈こ〉びた報〈むく〉いだ)と思いたいのは小暮ばかりではないはずだが、口外できることではない。
 小暮は肚をすえた。
「まことに陳(の)べ難きことながら」と、断りおいてから言った。
「嫡子に家督を譲り、わずか数年にして惚け同然の身と成り果てるとは、歴代御藩主によって与えられた安穏なる日々に安逸をむさぼりつづけた結果ではござらぬか。その報いが藩に害を及ぼすとなれば、これを速やかに取り除くが肝要かと存ずる」
「除くとは、死をもってするという意味でござるか」
 城代が、小暮を瞠目(どうもく)して訊いた。
「他に方策がござろうか」
 小暮は、独り悪人にされてしまったと感じながらも続けた。
「殿より死を賜わるということであれば、もと藩士たるものに不足はござるまい」
 死を賜わるとは切腹を意味しよう。しかし、すでに理非分(わ)かち難くなっている相手に対して何の意味があろう。切腹は名ばかりの斬首となろう。明確な罪を犯したと言い切れぬ者を斬首に処するとは、理不尽すぎよう。いや、大目付の言う通り、安逸におぼれたがゆえに藩に不利益をもたらしたとなれば、罪科に価しようなどなど。
 小暮が「殿より死を賜わることで−−」と言ったのをしおに活発化した政議参加者の発言を聞きながら、城代は手刀で首筋をとんとんと叩いた。
 それは難題を抱えた苦衷を示すしぐさとして、この場に違和感はないのだが、小暮には城代の観念した表現と見えた。城代と小暮は同年配、髪の白さも甲乙つけがたい。
(明日は我が身か)と思う気持ちに変わりはあるまい。小暮も手刀をつくり、後頭部を打った。
 意見の途切れたところで、城代は言った。
「今はどうあれ、かつては藩のために尽くしてこられた方々だ。斬首のような酷い最期だけは避けねばならぬ」
 死をもって処することは認めるが、その方法が問題だというのだ。
 これに即座に応じたのは、この場で一番若い侍頭だった。
「かつて何かの折に、御藩医の前田嘉二郎殿より伺ったところによりますと、蘭方(らんぽう)を用いれば、いささかも苦しむことなく安楽死できるとのこと。それを検討致しましては如何」
「安楽死とな?」城代が、手刀をとめて訊いた。
「方法は存じませぬが、苦しまずに死に至らしめる術なれば、最善の策かと存じます」
「ほう、それならば、各々がたにも異存はあるまい」
 城代は、一同を見回しながら言い、異論のないことを見極めてから続けた。
「大目付どの、そなたのもとに藩医を呼びつけ、その安楽死とやらの真偽を確かめたうえで、具体策を講じてくださらぬか」
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