惚け老人対策として
藩医による安楽死という
非情手段に踏み切った
小藩に起こる騒動と波紋を
描いた、大好評短編小説。

第8回
(2003年4/20 UP)

「これはこれは大目付どの、こんなところまでお越しとは恐れ入ります」
 縁側に立ち庭を眺めている小暮の背に、ことさら屈託なげに声をかけた。
「おお、まったくの無沙汰じゃった。しかし、その大目付どのはよしにしないか。昔のように、俺、おまえに戻りたくて参ったというのに」
 振り返り言うと、小暮は昔と違わぬ磊落(らいらく)さで笑った。
 小暮高次と大場久純は、藩校・究倫館で共に学んだ旧友である。
 剣術の腕前は互いに一二を争ったものだが、学問となると劣等組の席次を競い合ったものだ。当時、廓への忍び通いの味を大場に教えたのは小暮だった。そんな二人でありながら、後年、大目付と勘定頭にまで出世できたのは、藩重役のうちに未だ武道を重んじる気風が残されていたからに相違なかった。
「まったく、貴公が羨(うらや)ましいぞ。さっさと隠居したかと思うと、こんな素晴らしいところで、あのような美形にかしずかれての悠々自適とはな」
 小暮は、すすめられるまま座敷の上座に腰を落としながら、いかにも羨ましげに言った。
「おぬしは、まだまだ藩にとって必要な人物ゆえ、致し方あるまい。しかし、婿養子どのも仲々の人物だと愚息、彦之進より聞き及んでおるぞ」
 下座についた久純も、親しみのこもった物言いをした。
「いかにも。婿の平馬は貴公の嫡男彦之進ともども究倫館では一二を争っておるようだ。ただし、われわれの頃とは違って、学問のほうでな」
「まったくだ」
 笑いが弾けたとき、襖(ふすま)が開いた。
「失礼いたします。膳の用意が整いましてございます」
 と、琴が襖越しに三指をついた。
「そうかい」
 久純は、琴に頷(うなず)き返してから、「改めて紹介しよう」と、小暮に琴を引き合わせた。
「琴どのは下女を使わぬのか」
「はい」
「下女などに任せたくないと申して、何もかも独りでやってのける女でござってな、琴は」
「ほう、ますますもって、大場は果報者じゃ」
 琴は、小暮の目が自分に注がれているのを感じながら、二人の前に膳を据えおえ、
「旦那さま、お客様にお酌をしてさしあげて宜しいでしょうか」と、ためらいがちに訊いた。
「ああ、よくぞ気は付いてくれた」
「琴どのに酌までしてもらえるとは、何たる僥倖(ぎょうこう)」
「いや、なに、琴は客人とみれば相手かまわず酌をしたがるもので、よほどの知己でない限り酌は無用にいたせと申しつけておいたものでな」
「そうであったか、これは有難い。以後、この小暮高次を知己としてよろしく遇してくだされよ」
 と、酌をうけながら言ったが、視線は琴の顔に貼りつかせたままであった。
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この話は第9回に続きます。

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